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zoom RSS 教育とは何か

<<   作成日時 : 2007/05/23 03:00   >>

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あるメルマガの記事にとても感銘を受けました。その内容を紹介します。

<以下、転載>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

新米の先生が5年生の担任として就任した時、
一人服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいました。

先生は、中間記録に少年の悪いところばかりを
記入するようになっていました。

ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。

「朗らかで、友達好きで、誰にでも親切で、
勉強も良くでき、将来が楽しみ」
とある。
 
先生は、これは何かの聞違いだ、他の生徒の記録に違いない、 
そう思った。

2年生になると
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
 
3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」
そして後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」
とあり、

4年生になると
「父は生きる意欲を矢い、アルコール依存症となり、
子供に暴力をふるう」
とあった。

先生の胸に痛みが走った。
ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている
生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」

少年は輝くような瞳と笑顔で「はい!」と応えた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習・復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手を上げた時、先生に大きな喜びが沸き起こった。
 
少年は自信を持ち始めたのだ。

クリスマスイブの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
後で開けてみると香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその香水を身につけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気が付くと直ぐに飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ。」

6年生では、先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から 1枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。
そして、今まで 出会った中で1番素晴らしい先生でした。」

それから6年後、またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。
僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
お陰で奨学金をもらって医学部に進学することができました。」

10年を経て、またカードが届いた。

そこには、先生と出会えた事への感謝と
父親に叩かれた体験があるから
患者さんへの痛みが分かる医者になれたと記され、
こう締めくくられていた。

「僕は5年生のときの先生を思い出します。
あのままダメになってしまう僕を救って下さった先生を、
神様のように感じました。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
5年生の時に担任して下さった先生です。」

そして1年後
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座って下さい」
と一行添えられていました。

新任の先生は当時22歳
学校を卒業したばかり、
学問の教え方についての意気込みはあったものの、
人を育むという 
「本来教諭が身につけていなければならない」
ものを少年によって再認識させられたそうです。

少年の過去、生い立ちを知ったことで眼を開かされた先生。
先生の深い愛情で 自分を取り戻した少年

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

とてもいい話ですね。

教師たるもの、子供の行動の裏側にある真実を見抜き、
正しい道しるべを示してやること、
その子の良さを伸ばしてやることの大切さを痛感します。

多くの若者はそうした理想に燃えて教職を目指します。
ところが、目先の忙しさや、未熟さ、
理想通りにいかない現実の中で、
本当に大切なことを忘れてしまうことがあります。

この先生は、この生徒にとって素晴らしい先生に違いありませんが、
大切なことを気づかせてくれたこの生徒もまた、未熟な先生の教師であったわけです。

お互いに素晴らしい教師に巡り会ったのです。
「教師は教師の役を演じ、生徒は生徒の役を演じる。」
という言葉がありますが、その好例ではないでしょうか。
(生徒が未熟なのは仕方のないことですが、早くその未熟さに気づかなくてはいけません。
 自分を取り巻く不幸な出来事さえも、自分を成長させる教えなのだと思えたなら、何と幸せでしょう。
 その手助けをするのが教師の仕事です。)

様々な積み重ねで、教師自身も成長していくのですが、
熱意の空回りも少なくありません。報われないことも多いのです。
たとえ一人の生徒でも、気持ちが通じ合えたなら幸せです。何気ないことかもしれませんが、それがこの仕事の醍醐味でもあるのです。


良くも悪くも、人の人生に大きな影響を与える職業だということを、
これから教職を目指す人たちには、肝に銘じてもらいたいところです。

もちろん、教師というのは、学校の中だけの存在ではありません。
社会や家庭の中にあっても、こうした関係は存在し、
心の師がいるはずです。
年齢や仕事その他の上下関係などを超え、自分に人生の示唆を与えてくれる者すべてが教師です。
そうした教えを心に刻み、自分も少しは成長したのなら、その教えを周りに伝えていくべきだと思います。


教員とは数値目標だとか、一般的な業績評価で判断できない側面が大きい職種です。
(目に見えないような、影の努力や心の問題など、業績としては評価しづらいものです。)
教員の目先の業績だけを評価する、トップダウン式の管理体制には問題が大きいと言わざるを得ません。
昨今の教育改革の議論の中で、このことが完全に抜け落ちているような気がします。


2007年05月23日 17:33
ネットで結構反響が大きいみたいです。
教師志望という方の書き込みもあったので、コメントしてみました。

ジンガ さん おそらく作り話だと思います。(実話をもとに脚色したのかもしれません。)
作り話だとしても、いい話には違いがありません。

前にも述べさせてもらいましたが……
この話は素晴らしい話ですが、決して特殊な話ではありません。
多くの教師と生徒が、このような絆を築いて(築こうとして)いるはずです。

最近のいじめ問題や少年犯罪などの報道を見ていると、
どこか、教育がおかしくなってしまっていると思えてくるのですが、
実際にはここに出てくるような先生はたくさんいるのです。
そして、きっと誰にも思い出に残るような先生がいるんじゃないでしょうか。

まったく教師との良い思い出がないというのは、寂しいことですが、
自ら教師や他の人との接触を避けていたり、
自分の中に過度なスーパー教師像をつくりあげてしまっているせいなのかもしれません。
ですから、過去の自己分析をしてみる必要があります。

僕の小学校の時の先生で、(かなり年輩の女の先生だったのですが)とても厳しい先生がいらっしゃいました。
僕も子供ながらに、この先生の指導方針はちょっと変だと思っていました。
大人になってから、同級生でこの先生のことが話題になりました。
多くの同級生が、あの先生には……と、あまりいい評判がでてきませんでした。
確かに聞いていると、それは酷いなと思うことも多いのです。
僕自身は、それほどイヤな思い出はなかったのですが、昔のことですし、さらにこの年代の先生独特の指導だったように思います。
これでは先生が可哀想なので、
「でもあの先生にもこんな一面もあったよ」「こんな楽しい思いもしたじゃないか」と言うと、
それきり誰も何も言わなくなりました。(みんな大人ですから、自分たちの愚痴が決して潔いものではないことに気がついていたのです。)
その後、PTAの話になって、最近のわがままな母親達(バカ親ぶり)には辟易するといった話題に……。


グレートみた さんのおっしゃる「お前の笑顔は気持ちが悪い」
という言葉は、教師としてあるまじき言葉ではありますが、
それがどういう状況で、どんな意図で発せられた言葉かが分からなければ、
一概に教師失格とまでは言いきれません。
(もちろん、グレートみた さんの心を傷つけてしまったのですから、この教師の言動を擁護することはできません。何気ない一言が子供の心を傷つけてしまうこともあるわけで、それだけ教師の一言は重いのです。)

少し前に、いじめ自殺で、いじめに荷担したという教師が話題になりました。
まったくいたましい事件で、不注意な教師の言動が、大きくバッシングされました。(学校や教育委員会のいじめ隠蔽体質が大きな社会問題にもなりました。)
その後の調査で、この教師の発言が直接的な自殺の原因ではなかったという結果が報道されました。
たとえ間接的であったとしても、子供達のいじめを助長する一因になったことには違いないのですから、決して許されることではありません。たとえ99の良い行いがあったとしても、残りの一つのミスで評価は反転します。それだけ責任が重い仕事なのです。

多くの若者がそうであるように、
グレートみた さんのように悩み、自問することはもっともです。
しかし、その自信のなさや迷いといったことが、生徒の前で露呈し混乱させることになるなら、
あなたは教師などになるべきではありません。
(自分の悩みや疑問を吐露する勇気は認めます。しかし、あなたは笑顔の意味を取り違えています。笑顔とは心の真実が表面に表れたもので、取り繕ったものではないはずです。)

子供達には本当の笑顔を見せてください。
子供というのは、あなたが教師の言葉に敏感になったように、大人や教師の迷いや偽りを鋭く見抜くものです。

もちろん完璧な人間はいません。教師だって同じことです。
反面教師という言葉があるように、
自分の経験を生かして、自信を持つことが大切だと思います。
(自信というのは、たとえそれが何の根拠がないものであっても、人間の生きる上での大きなエネルギーになるものです。)

若さというのはこのエネルギーに満ちているわけですから、
これから教師になろういう人は、若さを活かして、いい先生になってください。


2007年05月24日 03:19
『星の王子さま』という物語の中に、
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないんだよ。かんじんなことは目には見えないだよ」と言う言葉が出てきます。

人は表面的な体裁やみかけの華やかさに惹かれがちですが、物事の本質を見なきゃいけないってことです。

人には個性がありますから、人に優しく自分に正直に生きていけば良いと思います。

ただ、教師という仕事にはある程度の適性があるとは思います。自信のない無口で暗い先生よりも、自信に満ちた明るく楽しい先生がいいに決まっています。
(もちろん本質的な意味での話です。完璧でなくても暖かい心を持ち、意欲的で努力を惜しまない人なら大丈夫です。)

それでも、人には馬が合うとか合わないということがあります。
これは教師と生徒の間でも例外ではありません。
合わない教師に当たってしまった生徒はまったく不幸です。
(教師はプロですから、どんな生徒にも公平に接するのは当然のことですが……。)

でもそれは教師だけの問題ではないと思います。
日本の戦後教育の問題点でもあるのです。
(残念なことに日本では教師を尊敬する・信頼するという生徒側の意識の割合が、諸外国に比べて極端に低いのです。)
戦前の教育のすべてを肯定することは出来ませんが、
教師への信頼という面で言えば、明らかにその関係は良かったはずです。

校内暴力や学級崩壊で、教師に暴力を振るう生徒や指導に従わない児童の存在も決してめずらしくなくなりました。(しかしこうした顕在的な状況はまだ良いのです。これらは一部の生徒や児童の問題ではなく、実は学校や教師側の体制の問題が大きいからです。そうした体制を見直して、立て直した学校はいくらでもあります。)
問題はむしろ学校・教師不信の潜在化で、教師を冷めた目で見ている生徒や児童の存在です。

だから、本来は当たり前のような教師と生徒の話が、
こうして話題になってもくるのです。
それだけ、我々も理想の教師像に飢えているのかもしれません。

問題教師や指導力不足教員の存在も、今に始まったことではありません。
(昔から変な先生は一定の割合で存在したのです。)
現在、特にその数が増えているというよりも、
社会の目が厳しくなったことと、学校・教師の権威の喪失といった問題が背景にあることは間違いありません。

ですから、今の先生(特に公立の小中学校)という職業は、
とても厳しい状況にあるのです。
熱意のある若者が、現状の学校や生徒・保護者に失望して職を去っていく例が後を絶ちません。
(厳しい言い方ですが、結果的には適性がなかったということです。その程度の覚悟なら初めから教職などに就かないことです。)

中には適性の問題というよりも、学校・教員集団の問題の方が大きい例もあります。(そんな中に置かれた熱意のある先生は気の毒です。どんな荒れた学校でも、校長・教員の指導力と教員のチームワークや地域・家庭との連携があれば必ず打破できるはずだからです。もちろん一番不幸なのは生徒です。)

p_prince 2007年05月24日 03:22
話が長くなって申し訳ありませんが、
一連のいじめ問題なども、健全な学校運営が阻害されたところから生まれてくると考えられます。
いじめはいつの時代でもありましたが、どうして悲しい事件が頻発するのでしょうか。
中には偶発的なケースもあるのでしょうが、
大半はしっかりした生徒指導(生活指導)が出来ていない結果と言わざるを得ません。
初めからいじめの問題に言及しない教師の存在は問題外ですが、
教師がいくら話をしても、それが生徒の心に届かないのでは何にもなりません。
(自殺した生徒の葬儀で、いじめた側の生徒が笑っていたというような報道がされました。何と酷い生徒だと思うかもしれません。しかし、これは特殊な生徒の例ではないと思います。あくまで想像の域をでませんが、これは照れ笑いです。人の死ということの意味が良く理解できずに、自分がそれに荷担したという状況の深刻さが分からないのです。その場の状況が理解できないこともあるでしょう。仮に少しは呵責の念にとらわれたのだとしても、他の友人の前でその感情を表すことができない、結果、笑うとい奇異な行動に走らせるのではないでしょうか。この生徒もいつか自分の罪の深さに気がつくときが来るかもしれませんが、不幸なことです。)

悪いことをした生徒に、悪いことだということをきちんと分からせることは生活指導の基本です。小さな悪戯やいじめは何処の学校にもあることですが、その基本指導が出来ていないのです。表面的には行っていたとしても、子供の心に届いていないのですから同じことです。


そうした厳しい現在の教育環境ですが、
それでも教師になろう、そういう若者に頑張って欲しいです。

厳しい中にも、いや厳しい中だからこそ、その達成感は大きいのです。心に残る先生と生徒の実話を、誰もが自然なかたちで語れる日が来ることを願います。

子供の躾に関しては、本来家庭が基本であることも忘れてはいけません。
日教組が元凶であるという論調もありますが、必ずしもそうとばかりは言えません。功罪混交です。
教育行政しかりです。
この間テレビで、フィンランドの教育を見ました。教師にカリキュラムの自由を保障し、個性的な授業を展開していました。何より教師のステータスの高さ(給料は安いけれども誰もが尊敬する存在なのです)には驚きました。



KK 2007年05月26日 01:30
こんばんは。感動しました。
人は自分にされたことを意識的・無意識的に周りの人にしてしまうと思います。愛情にしろ、虐待にしろ、深さ×時間で心に溜まっていくような気がします。本当に深い愛情を受けたことがあれば、つらい経験も乗り越えられるのではないでしょうか(と信じたい)。少年は幼い頃に愛情を注がれて育ったのでしょう。だからこそ優しい先生がお母さんと重なったと思います。みんなが少しずつでも人に優しくできれば良い連鎖反応が起こると思うのですが...

よき出会い 2007年09月04日 03:08
私は(塾ですが)教師のはしくれです。
いいお話です。ありがとうございました。
あんまりいいお話なので残しておきたくなりました。
(勝手にすいません)自分の保存用ページに転載させてもらいました。

p_prince 2007年09月04日 05:04
よき出会い さん こんばんは

塾の先生ですか。ある意味学校の教師よりも大変ですね。
わざわざ、コメントありがとうございます。
こちらも転載なので……。

ところで、
『星の王子さま』の物語をご存じですか。
自分の心が弱っているときにこの物語を読むと、
本当に涙が出てきます。
僕は、王子さまが泣き出したときに、そっと飛行士が抱きしめてやる場面が好きです。

教師にとって、バラは子供(生徒)に違いありません。
子供は気ままで、わがままなところもあるけれど、
本当はむじゃきで弱いものです。
守ってやらなくてはいけないのです。

そして教師はその子供達に、大きな責任を負っていることを忘れてはいけません。

王子さまはバラと別れて旅をする中で、そのことに気づきます。
そして、ついにバラのいた自分の星にもどっていくのです。
それは物理的・肉体的な帰還ではなくて、
精神の帰還(肉体的な死をともなうものとも読みとれる)なのです。

一般に、バラは恋人や配偶者を意味すると考えられますが、
世の中の教師と呼ばれる人たちにとっては、
手塩にかけた子供達だと、誰もが感じるだろうと思います。
そして子供達もやがて、その大きな愛に気づくのです。


しかし……
現実にはなかなかそうはいかない。
子供は教師を冷めた目で見て(無邪気な子ほど反発もする)、教師の情熱は空回り。厳しい指導は嫌われ、甘い指導はなめられる。スキンシップはセクハラに、厳しい指導は体罰に。無茶なことを言う親たちに、ことなかれ主義の管理職。現場を知らない教育庁。民主主義は何処へやら、とかく教師の世界は住みづらい。

教師は理想と現実、そのジレンマに悩まされることが多い仕事です。それでも多くの現場の先生は頑張っているのです。

日本の教育再生には、この教師と生徒の精神的つながりを取りもどすことが、何より必要だと思います。

よき出会い 2007年09月05日 02:22
『星の王子さま』、はずかしながら読んでいませんでした。さっそく娘の本棚から借りてきて読み始めたところです。読んだらまた書き込みに参ります。

厳しい指導は嫌われ・・・
甘い指導はなめられ・・・
厳しい指導は体罰に・・・

塾でもこんな状況です。とくに異動で全学年の生徒が初対面という年度(今年がそうです)には、指導にどこか遠慮が出てしまいます。その結果、なめられるということになります。

教師と生徒の精神的つながりを取りもどすためには、言うべきことはしっかり言い(指導し)、姿勢が定着するまでは身体をはってでも根競べをする必要があると考えています。特に低学年(私の塾では中1)では必要です。

子供は高学年になったときに、あのときのきつい指導のおかげでここまでこれた、と思ってくれればいいと・・・私は考えています。

よき出会い 2007年09月10日 00:09
p_princeさんへ
『星の王子さま(内藤濯訳)』読みました。確かに、バラは生徒のようです。教師は、手をやきながらバラを育てます。そのバラの将来に大きな責任を負っています。世話をしないと枯れてしまうかもしれない。

やがてバラは、何年か後に教師の大きな愛に気づくのでしょう。今の世の中、それは学校を卒業して何年も経ってからでしょう。願わくは、在学中の「教師と生徒の精神的つながり」を取り戻せる様にしたいです。

そのためには多くの大人が人生論を説ききれるようにならなければ、と思います。良いことと悪いことを自信を持って説ききれる大人に。

p_prince 2007年09月10日 15:36
『星の王子さま』は、飛行士自身(サンテグジュペリ自身)の心の葛藤(王子さまは飛行士の少年時代の分身で、物語は飛行士の見た夢だとも解釈できます。)をえがいた物語です。

理想と現実の中で、私たちも葛藤しながら生きています。

報われない愛という現実や、無意味な忙しさの中で、理想を失いがちです。

最近のCMにこんなのがあります。
同窓会のシーンで、元生徒と思われる青年が、
「僕は実は先生のことが嫌いでした。……僕も嫌われる教師を目指そうと思います。」
木訥とした老教師が「……まあ飲め」
ってやつです。

何で嫌われる教師を目指すんだ、とつっこみたくなりますが……

このシーンの意味を考えてみると、
決して生徒受けするタイプではなかった木訥とした教師
(楽しく誰からも好かれる教師ではなく、おそらく厳しい指導の頑固な教師だったのでしょう。)が、
何年ぶりであった元生徒に、実はあなたが嫌いだったと告白されるという設定です。
青年は新人教師(あるいは教師を目指す学生)でしょう。
当時は、その教師の厳しさに反発し、好きになれなかったけれど、
こうして自分がその立場に立ってみると、
そうした厳しさこそ、本当の愛情であると考えるようになったと告白するシーンのようです。

誰もが嫌われ役は嫌なものですが、誰かがやらねばならい役というのも実際にはあります。
(昔の学校には、なぐり屋という役の教師がいたそうです。)

このCMは、「嫌いだったけれど……」という展開で、
教師も報われるのですが(このあとの一言に教師も心をうたれ、自身の生き甲斐すら感じるのです。)、
実際の場面では、「嫌いでした」……で終わってしまうケースは多いんだと思います。(現実にはそうした陰口は多いでしょう。それは当人も何となく気づいているものですが、その現実を目の当たりにしたときは、かなりショックな出来事です。何故なら、その厳しさは愛情に裏打ちされたものだと思い込んでいるわけですから。)

自分自身が親や教師という、子供を教育する立場に立った時に、
はじめて、教師の苦労や苦悩というものが分かるんだと思います。(悲しいことに、実際には何年経っても分からないという人もいるようです。そうした人にとっては、それは教育ではなく苦痛な体験にすぎなかったのです。またその教師の指導は結果的に間違いだったと言わざるを得ません。)

「金八先生」は、何年も続いた人気番組ですが、
第1シリーズ(マッチやとしちゃん出演)が終了後、
武田鉄矢さん自身がインタビューに答えて、
「実際には、金八先生なんていませんよ。」
と答えていたのが印象的です。
(武田さんもこのドラマがこんなに長期のシリーズになるとは思っていなかったのでしょう。)

教師を目指す者たちは、
「青春ドラマ」や「金八先生」をはじめとする学校ドラマに、
少なからず影響されて、理想に燃えてこの仕事に就きます。
しかしさほど時間を要せずに、理想と現実のギャップ・壁につきあたります。
(荒れた学校では、新採教員のほとんどがやめてしまう例すらあります。)

ただ、現状を嘆いてみるだけではどうにもなりません。
親や行政(ましてや生徒の現状)の陰口を言ってみても何の解決にもなりません。
困難や苦悩はどんな仕事にもあることです。
(ただ教師にとって、あまりにものが言えない時代になっているのは気の毒です。)

自分の信じた道を挫けずに進んでいきたいものです。
(もちろん軌道修正は必要です。社会や誰かの為になる仕事、それが出来たら幸せです。)

私自身は、現場の教員ではないのですが、
全国の先生方や教職志望の皆さんを、影ながら応援しています。そして真の日本の教育再生を願っています。

よき出会い 2007年09月17日 18:46
最近のCMにこんなのがあります。
同窓会のシーンで、元生徒と思われる青年が、
「僕は実は先生のことが嫌いでした。……僕も嫌われる教師を目指そうと思います。」
木訥とした老教師が「……まあ飲め」
ってやつです。
↑この記事を私の日記に採りあげさせてもらっていいですか。
本当のところ、生徒は「厳しい先生と甘やかしてくれる先生とどっちがいい」のだろうか、を考えてみたいと思います。白か黒かという問題ではないのですが・・・

p_prince 2007年09月17日 22:27
>よき出会い さん   こんばんは

どうぞ、構いませんよ。

今ちょうどCMを見ていたら、
「先生、俺、先生のこと嫌いでした……だから俺も嫌われる先生になろうと思います」
でしたね。(長いバージョンでは教室のシーンもあるので、青年は教師なんでしょう。)

このCMは、一見正しいことを言っているようですが、
ちょっと設定に飛躍と思いこみがあると思います。
「嫌いでした」と「だから俺も嫌われる……」の間に、
かなり飛躍があります。
嫌いだったから、俺も……なのではなくて、
一時は嫌ったその教師の教えが、実は自分を成長させたと回想し、たとえ嫌われても正しいことや子供の為になることをするのが教師の使命だという考えに至った結果の、だからなのです。

このCMを見て、嫌われること=厳しさ=理想の教師像
みたいな短絡的な発想をするのは、どうかと思います。

厳しい中にも、優しさや暖かさがにじみ出た、
あるいは、優しさの中にも、厳しさを持ち合わせた
人間性豊かな教師というのが理想でしょう。
(それが金八先生のような姿になるのですが……。)
一昨年だったか、「女王の教室」というドラマがありました。
毎回、理不尽とも思える方法で厳しく冷酷に子供達に接する女教師と子供達の日々を綴ったドラマです。
なんでこんなひどいことをするのだろうと、ドラマを見ている者は誰もが思うのですが、反面それには理由があるに違いないという期待感でドラマは進みます。
結局、年度の途中で女教師は学校を追われることになるのですが、
子供達は、見違えるように成長して卒業していく。
卒業式当日、
最後にクラスの生徒の誰もが、「先生のおかげです」と涙ながらに女教師に感謝するという物語です。

これは、ドラマの世界であって、現実にはまずあり得ないお話でもあります。(これは、極端な設定のドラマですが、金八先生にも程度の差こそあれ同様のことが言えると思います。)

とはいえ、現実は理想通りにいかないと、諦めてはもらいたくありません。
夢や希望を語り、理想を追求して導くからこそ、教師であるのですから。


決め方TV(テレビ朝日)「クラス替え」
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